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サークル運営者のつぷやき
東京都目黒区アマチュアダンス協会
月刊ダンスファン 2003年10月号掲載文 |
初めて社交ダンスと出合った頃のことは誰でも、ふと懐かしく想い出すことがある。 私も、社交ダンスとの出合いから25年が過ぎ、サークル運営もも20余年を経た今、昔のことを書く年齢と なってしまった。 かつてのオイルショック(1973年)直後、何回目かの社交ダンスブ"ームが終息した時期があった。 その頃から公民館ダンスサークルが誕生し始めたと言われる。 私も偶然の機会から、そのようなサークルの一つに足を踏み入れてしまった。 運動系が不器用な四十代半ばの入門者にとって、生まれて初めてのダンスは戸惑うばかり、サークルの 諸先輩の暖かなサポートが無ければすぐ退会していたと思う。残念ながら、熱心に支えて下された先輩 達はすでに他界されお礼の申しようもない。 少しは人並みに動くようになりたいとの初心者の一念で、土曜夜(週休2日になる以前)と日曜の昼夜と、近 隣・他区のサークルを会員証の束を握って歩き回った。 現在のように社交ダンスが社会的認知度が高くない時代で、小規模のサークルが多く閉会後は必ず飲み 会に誘われた。私にとっては、それがご縁で沢山の先輩・友人を知ることとなり、 後のサークル結成に幸いした。 サークルを色々回ってみたものの、ダンスの方は一向に上達せず、会社の帰路に ダンス教室に通うことにした。 現在のようにダンス教室の数は多くなかったが、オイルショック前は超満員でした、とオーナーが言う広く立 派な桜材の床に、教師が延々とチョークで足型を書いて下されるほど夜は閑散としていた。 やがて仕事の方も忙しくなったので、会社近くの新築の公共施設に教師の出張をお願いし、個人レッスン を始めた。 その会場の周囲は、都心にありながら夜になると人通りもなく、暗いゴースト・タウンに変わる。 今の高層ビル群の街からは想像できない寂しい所であった。 新しく広過ぎる会場で女性教師と2人だけのレッスンは教室のようには落ち着けない。床は木製ではない が、サークルに利用できないかと考え始めた。 早速、先述のサークル回遊中に知り合ったダンス愛好者達に声を掛けてみた。ダンス歴数10年の超ベテ ラン、ダンスに家二軒分のお金を使ったという先輩、飲み会での友人達など約20名が賛同し、新しいサー クルを立ち上げることとなった。 集まった仲間の中で、ダンスを始めて未だ一年半、一番下手な私が裏方代表として、会長を引き受けるこ とになった。その時は、20余年の楽しみと苦しみのサークル付き合いの始まりとは予想もしなかった。 真っ先に思い出すのは、短期間で解散した場合、会員の「入会金返還請求権」はどうなるか弁護士の友人 に相談した結果、会員証に期間1年と明示したこと。 私も一年はサークルを持ちこたえなければと責任を感じた。 会員達の協力のお蔭で一年間は無事過ぎた。その間、先生は出張教師からアマB級に変わった。 2年目からはプロの先生をとの会員達の要望も出てきた。 ダンス業界について不案内な私の先生探しが始まる。三百年続く老舗の方に教わった先生に直接お願い してみた。その先生は、NATDで「ダンス教師は教室の外に出て普及活動」の方針を今年出しているし、お 手伝いしましょうと心良く引き受けて下さった。 例会でそれを報告すると、ダンス界を良く知る先輩達は、あの有名な先生が、こんなサークルに来てくれる はずがないと半信半疑の様子。私も先生の経歴を聞いて驚いた。しかし、本当に篠田雅子先生がおいで になり、会員達も大喜びで、毎週の例会に集まって下された。 ただ、講習レベルが高過ぎて私には良く判らないことも多く、裏方に専念した。 その7ヶ月あと、NHK教育テレビで史上初のダンス講座「レッツダンス」が、篠田先生ご夫妻により始まる。 ご存知の方も多いと思いますが、この全国放映が、従来の社交ダンスのイメージを変え、現在の公民館ダ ンス隆盛の契機となった歴史的番組でした。 篠田雅子先生
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